2017年9月20日水曜日

顔が見える安心感

きちょくれ大分ネットショップでは、
大分県ならではの誰かに教えたくなる
ご当地グルメや特産品・焼酎などを販売しています。
 
お客様から、
もう少し生産者の方々の情報が知りたいとの声があり、
今回、新しくサイトをリニューアル致しました。
 きちょくれ大分ネットショップ

 
どういった気持で商品を作られているのか、
とても興味深いお話しもありますので、
ぜひ、見てみて下さいね。
 


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2017年8月22日火曜日

晩夏に思う

ここ最近はうだるような暑さも和らぎ、
朝夕の風が少しだけ、頬に心地よくなってきましたね。
 
きちょくれ大分ネットショップの長田です。
 
 
先日、旧友が久しぶりに里帰りをしたので、
佐伯市にある名店「錦寿司」に行ってきました。
 
ここの寿司は味もさることながら、
ネタが舎利からはみ出るほど大きいのが特徴で、
メディア取材も多く、とある漫画にも登場した程の人気店です。













今回、私は半分のサイズにカットして頂きましたが、
新鮮な魚介が適切に処理されている佐伯の寿司は、
やはり格別で、美味に浸る至福の一時は、あっという間に過ぎ去りました。
 
 
 
 
腹ごしらえの後は、
少し散歩ということで、佐伯城に行ってきました。
 
ここは豊臣秀吉の家臣、毛利高政が築いた城です。
彼自身、大坂城など多くの城の普請に関わっていたこともあり、
2万石の大名とは思えないほど立派な城でした。
 

















今では建物は残っていませんが、
佐伯湾を一望できる頂上の景色は美しく、
ちょっとした山登りも楽しめるということで、
夕暮れ時にもかかわらず、多くの登山客がいました。
 














汗をかきながら15分間かけて登った山のいただき。
そこから望む雄大な景色と、横笛の重奏のような木々のざわめきが、
夏の暑さをすうっと吹き飛ばしてくれました。
 
ふだんは趣味の魚釣りで、海や川にはよく行きますが、
たまには山登りもいいかもしれない。
そう思うに至った晩夏の休暇でした。















城の本丸跡

2017年7月7日金曜日

謹んで水害お見舞い申し上げます


7月4日、長崎県に上陸し四国近畿地方を経て関東の東方沖へと日本を縦断した台風3号。

その余韻も冷めやらぬ翌5日、福岡・大分県地方を襲った大雨は今もなお断続的に降り続き大雨特別警報が発令される中、報道でもご存じの通り、福岡県の朝倉市、大分県日田市を中心に甚大な被害が出ております。



河川の氾濫による大水で孤立、避難されている方もいまだ数多く、予断を許さない状況が続いています。

謹んで災害でお亡くなりになられた方のお悔やみを申し上げますとともに、行方不明の方の一刻も早い無事を心より願います。

大分から福岡を流れ、有明海にそそぐ筑後川は「筑紫次郎」の名で日本三大暴れ川として有史以来、幾度となく氾濫を繰り返してきました。
記憶に新しいところでは平成24年7月の「九州北部豪雨」は福岡、熊本、大分に大きな被害をもたらし、筑後川水系の日田市などでも多数の犠牲者が出ました。

自然の猛威を目の当たりにし愕然とするばかりですが、個人レベルを含め日頃から災害対策への意識を高めることの重要性を痛感いたします。

ともかく今はこれ以上被害が拡大しませんよう、早く雨が止み、被害に遭われた方には一日も早く復旧が進み、平常の日常生活に戻られますことを祈るばかりです。

2017年6月7日水曜日

大分の二度泣き


大分の二度泣き」。大分の人は耳にしたことのある言葉ではと思います。

その意味は、他県(特に首都圏などの都会)から転勤などで大分にやってきた人が、「こんな田舎で暮らすのか」とまず泣く。

その後大分の人々の厚い人情に触れ、美しい自然と美味しい食べ物を知り、土地にも生活にも慣れた頃、帰ってこいとの命令が下り、大分を離れるつらさに二度目の涙を流すというものです。


「ふるさとは遠きにありて思うもの」の言葉もありますが、実際に住んでみないとわからないその土地のよさがあるのは事実です。

企業がよく特集している「住んでみたい街」のランキングではさすがに東京や横浜といったオシャレで洗練された都会の街であったり、京都、札幌などの観光都市だったりが上位を占めます。

しかし、某出版社が発表した「住みたい田舎ベストランキング」では、総合部門で鳥取市についで豊後高田市が2位宇佐市が5位国東市21位竹田市27位日田市34位大分県はなかなか健闘しています。


シニア世代部門に限っては、豊後高田市は1位宇佐市が6位別府市も堂々7位に名を連ねています。


大分県の人気の高さがうかがえます。

ちなみに、真偽のほどは定かではありませんが岡山にも同じく「岡山の二度泣き」という言葉があるようで、こちらは二度目の泣きは岡山を去る際、やっと離れることができると嬉し涙を流すからなのだとか。これはおそらく誰かの自虐ネタが発端と思います。(少し気にはなりますが)


人気のおんせん県おおいた。
県内の自治体ではUターンやIターンの促進など移住支援にも力を入れています。
簡単ではないと思いますが、チャンスがもしあれば観光だけではなく、ぜひ一度
住んでみられるのもおすすめです!


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2017年5月24日水曜日

愛媛県から九四フェリーに乗ってきました

きちょくれ大分ネットショップの龍頭です。

大分県の隣県といえば、おおよそ北は福岡、西は熊本、南は宮崎というのが一般的です。

しかし忘れてはならないのが海(豊後水道)をはさんだ隣県「愛媛県」。

大分県は九州のなかでもどちらかというと瀬戸内の文化圏の影響を強く受けており、歴史上、海をはさんで愛媛県や山口県との因縁も浅からぬものがあります。
言葉も福岡や熊本のいわゆるコテコテのばってん九州弁よりも、大分弁は中国四国地方の言葉に近いともいわれています。

フェリーで八幡浜~別府間は170分、八幡浜~臼杵間は145分、最も短い所要時間の三崎~佐賀関間は70分でそれぞれ大分と愛媛が結ばれています。
別府便は四国から大分はじめ九州各県への移動、臼杵便は宮崎県方面への移動に便利です。

関西方面から車で大分へ移動する場合、大阪・神戸から別府・大分へはフェリー「さんふらわあ」利用という選択肢もありますが、陸路だと北九州経由に比べ四国経由では走行距離で約200kmの短縮が可能です。

実際はフェリーの航送料金がかかりますのでやや割高にはなりますが、船の移動で一休みし疲労を軽減できるというメリットもあります。

今回、機会があり三崎~佐賀関間のフェリーに乗船してきました。



大阪を午前中に出発し、瀬戸大橋を経由して四国へ。
四国へは明石海峡大橋&大鳴門橋経由という手もあります。いずれもブリッジ通過時には豪快かつ風光明媚な車窓景観を楽しめます。

幹線である山陽道と違って四国島内は交通量も少なめで快適。疲れを感じる間もなく伊予大洲に到着。ここで高速を降り、一般道の国道197号を西へ走り、佐田岬半島の三崎港(西宇和郡伊方町三崎)へ向かいます。

この197号線は高知市~大分市を結ぶ一般国道。いわゆる"海上区間"がある国道です。

国道九四フェリーは前述の通り三崎~佐賀関間を70分で結び、6時から23時まで三崎発毎時00分の1時間間隔でシャトル運行しています。(佐賀関発は毎時30分)。
したがって運行は3隻の船でまかなっています。



三崎港の国道九四フェリー乗り場にはすでに30台ほどの大型トラックを含む車両が待機。

着岸後、下船する車を待っていよいよ乗船。


本日の船は「遥かぜ」697トン、全長71.5m。豊予海峡を西に進みます。

写真は佐田岬半島にある風力発電?の風車。
近くには現在稼働中の原子力発電所(伊方原発)もあります。距離が近いのでその安全性については大分県民の関心も高くなっています。


途中逆区間運行の僚船とすれ違います。



70分はゆっくりひと眠りというほどの時間ではありませんが、デッキからの眺めを楽しみながら運転の疲れをしばし忘れることができます。

佐賀関半島の突端、関崎の灯台を通過。写真ではわかりにくいですね。


波も穏やかで揺れもなく、船上から美しい夕日を拝むことができました。


まだ明るいうちに佐賀関着。
おなじみの旧日本鉱業(現:パンパシフィックカッパー)佐賀関精錬所の大煙突が迎えてくれます。



国内の船旅は高速道路の整備が進む中、一部を除き近年急速に航路の廃止が進み、現存するものも残念ながら赤字経営が多いと言われています。

豪華客船のクルージングがもてはやされている昨今、時間の制約に縛られず景色を楽しみながらのんびりゆったり移動する船旅が人気を集めていますが、普段から気軽に利用できる一般庶民の長距離移動手段としてのフェリー航路にも、もっと注目が集まってもよいのではと個人的には思っています。



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2017年5月18日木曜日

かぼす県おおいた

きちょくれ大分ネットショップの龍頭です。

先月のブログでも話題としておりましたが、「大分といえば?」の続編として「おんせん」「関あじ関さば」に続くものとしまして「かぼす」があります。

大分に所縁のある人であれば今更言わずもがなの存在である「かぼす」。まさに大分といえばかぼす、かぼすといえば大分です。

よくご存じない方に簡単に説明いたしますと「ゆず」や「すだち」、「だいだい」等と同様の柑橘系植物で、主にその果汁を料理の薬味やアクセントとして使用するものであります。

みかんと違い果肉を食するものではないため、食卓においては「脇役」であるにもかかわらず抜群の存在感があり、大分の食を語る上で必要不可欠なのが「かぼす」です。

かぼすの旬

大分県下では果実の収穫を迎える8月中旬から秋冬にかけてスーパーでは袋詰めのかぼすが棚に並び、和食店や居酒屋などお店の料理には必ずといってよいほどかぼすが添えられます。

ちなみに春から夏にかけてはハウスもののかぼすが若干量出回ります。しかし1玉100~200円と高価なのが残念です。

「ゆず」が九州一円、四国から関西、関東に至るまで全国区であるのに対し、かぼすはほぼ全量といってもよい生産量の95%以上が大分産。発祥の地と言われる臼杵市はじめ、佐伯、津久見、豊後大野、竹田と県央(豊肥地区)から県南を中心に栽培生産されています。

「ゆず」は黄色の果実のイメージがおなじみとなっていますが、徳島のすだちとともに緑の果皮のイメージが一般的。しかし当然かぼすも樹上の追熟により黄色に変わります。


シーズン終盤の秋にはこの「黄色かぼす」も店頭に並ぶことになります。

かぼすとすだち

よく話題になるネタに「かぼすとすだちの違いは?」というのがあります。

すだちは主生産地の徳島を中心に主に関西圏で知名度を誇り、刺身や焼魚(夏の鮎は有名)、うどん等にも使われます。
ご存じの通りピンポン玉ほどの大きさの小粒のすだちに対し、かぼすはそれよりやや大きくテニスボールサイズ。


味の違いとしては味覚センサーで測定した結果、大分県産かぼすは、他の柑橘類と比較して酸味のほどよいバランスと高い甘味に特徴があることがわかっています。(味香り戦略研究所・2008/8-10月調べ:大分県カボス振興協議会HPより)

またかぼす果汁はミネラル分としての塩味がしっかりしていることから塩の代わりに食材に添加することで減塩効果も期待できます。

魚介類や肉料理などあらゆる料理において食材の味を引き立たせるのがかぼす果汁。



「主役」にはなれないが大分の食文化には必要不可欠な名バイプレイヤーが「かぼす」です。

これを活用した加工商品もまた多数作られています

かぼすの夏、大分の夏の到来が待ち遠しい時は、年中つかえる「100%かぼす果汁」がおすすめ。
ぜひご活用ください!

かぼす果汁100% 1000ml
http://www.all-oita.com/shop/item_detail?item_id=2258209



リキュール 常徳屋かぼす(ALL oita) 720ml
http://www.all-oita.com/shop/item_detail?item_id=2265454



大分かぼすパスタ フェットチーノ
http://www.all-oita.com/shop/item_detail?item_id=2266128


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2017年5月10日水曜日

「戸次(へつぎ)川の合戦」解説


きちょくれ大分ネットショップの龍頭です。

GWも終わり、季節は初夏。
木々の緑も鮮やかさを増し、海や山に本格的なアウトドアシーズンを迎えつつありますが、今回は趣向を変え歴史のお勉強

というわけで日本の戦国合戦史でも、つとに有名な「戸次川の合戦」についてご紹介します。
歴史にあまりご興味のない方も、是非しばしお付き合いくださいませ。

まずは歴史背景から。

大分の歴史を語る上でかかせない人物が戦国大名の大友義鎮(よししげ)。宗麟(そうりん)公の名でキリシタン大名としてもおなじみです。



1530年、鎌倉以来の名家、大友家第20代当主、大友義鑑(よしあき)の嫡男として豊後国府内に生まれ、1550年に家督を相続。その際も相当なイザコザがあったようですがこれは戦国の世の常ということで詳細は割愛します。

その後宗麟は南蛮貿易で富を蓄え勢力を拡大
豊後を拠点に肥後、豊前、筑前とその領地を広げ九州北部を制圧。
16世紀の半ばには九州の覇王として君臨するに至りました。

しかし当然これを良く思わぬのが薩摩の名門である島津家。

当主島津義久は薩摩に加え、1567年に念願の大隅、日向(宮崎)の三州を統一。いよいよ宗麟との対決は避けられない状況となります。

1578年、日向に攻め入った大友宗麟は「耳川の戦い」で島津軍に手痛い敗退を喫します。
ここから形勢が逆転し、勢いに乗る島津はその後、肥前、肥後を制し、いよいよ筑前、豊後に迫り九州制圧を目論みます。

決戦の時

名将島津家久率いる2万の軍勢が豊後に迫り、危機を迎えた大友宗麟は時の権力者豊臣秀吉に助けを求めます。

これを聞き入れた秀吉は大友救援のため、先遣隊として軍監仙石秀久、長宗我部元親、その子信親、十河存保を派遣。鶴賀城(現在の大分市上戸次)を死守する大友家家臣、利光宗魚との四国連合軍6千の兵が島津軍を迎え撃ちます。


戸次川(大野川)を挟んで対峙した両軍でしたが、1586年(天正14年)12月12日、仙石秀久は秀吉からの援軍を待つべきとの長宗我部元親、十河存保の進言をさえぎり無謀にも渡河突撃を決行。
島津軍が得意とする「釣り野伏せ戦法」(中央の部隊が敗走すると見せかけ敵軍を囮となって引き寄せ、左右に伏せていた援軍が襲いかかり三方から一気に攻める戦法)にかかり大敗。
名だたる武将はこぞって討死、壮絶な最期を遂げます。
短時間で2,700名もの戦死者を出し、一説には両軍合わせて4千名の命が露と消えたとの伝聞もあり、いずれにしても日本の合戦史上類を見ない悲惨な戦いであったと伝えられています。

合戦後、進軍した島津軍により府内城は陥落、大友宗麟は臼杵城に立てこもり防戦、風前の灯となります。
しかし翌年、先遣隊の大敗を知った秀吉は豊臣秀長を総大将とする10万の大軍を豊後に派遣。
さすがの島津軍も豊後を撤退、敗走を重ね九州内の諸大名もこぞって豊臣の軍門に下ったため島津もついに秀吉に屈し、薩摩、大隅の二国の安堵を受けることとなります。
秀吉による九州平定の完了です。

窮地を脱した宗麟でしたがすでに病に侵され、再起の気力はもはやなく、津久見の地で波乱の生涯を終えました。

余談ですが宗麟の没後、家督を継いだ嫡子義統(よしむね)は秀吉臣下の武将として庇護され、名を吉統と改名。しかし朝鮮出兵の際の失態を咎められ、豊後の国は改易となり領地は分散されて秀吉直下の武将が統治することになります。

他家預かりの身となり諸国を流浪する吉統は、秀吉の死後、罪を解かれ豊臣秀頼に仕えます。関ケ原の戦いでは西軍方として参戦、大友家復興をめざしますが失敗。徳川により幽閉、流罪の身となります。

しかし吉統の子義乗(よしのり)は父と行動を別にしており、関ケ原で徳川軍についていたことから戦後、大身の旗本に取り立てられます。
その後の曲折(断絶、再興)を経て大友家は徳川幕府の高家(幕府の朝廷や寺社との接待や儀礼などを担当する役職、今川、上杉、武田など名門の家柄が担当した)として存続することとなりました。


毎年12月12日には戸次地区において敵味方のへだてなく戦没者の霊を弔う慰霊祭が行われています。
また戸次川の合戦を後世に伝えるものとして毎年11月の第二土曜日「大野川合戦まつり」が開催。
槍隊、鉄砲隊、歩兵隊、女武者による武者行列や騎馬隊の疾走、豊後鉄砲隊の演武にメインは戦いを再現した「合戦絵巻」。勇壮かつ絢爛な催しが繰り広げられるとのことであります。

「兵(つわもの)どもの夢のあと」を偲ぶ一日です。

現在の戸次地区は大野川流域の肥沃な土地を利用した豊かな農作物に恵まれ、特に名産のごぼうは「戸次ごぼう」として名高く、品質と味の良さで大分を代表する特産野菜として出荷されています。


戸次ごぼうを使った加工品も近年人気急上昇中です。


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